ひんやりと冷やした西瓜をカットしていた。
夏の風物詩。
ここ最近は外食ばかりでまともな食事ができていなかった。
そのため英二は早めに帰宅できた今夜は手料理を振る舞うことにした。
とはいっても凝った料理ではない。
いたってシンプルなものである。
だからといって簡単にすぐできるわけではない。
何故なら茹でものばかりだからだ。
今日はビールで一杯やる予定なので必然的にこのメニューにしたかった。
不二は残業があるため帰りが遅い。
ならば帰ってくるまでに時間があるので問題はない。
英二は早速調理にかかった。
まずは素麺を茹でる。
そして枝豆、とうもろこし。
今日はちょっとした小さな祭りがあるらしい。
花火も上がるらしいので遠くでその音を聞きながら一杯やるのもいいのでは、と英二は思ったのだ。





「ただいま」
「おかえりー」

既に調理を終えていた英二は玄関先で不二を出迎えた。
まるで新婚生活のようだ…と言いたいが実際そう考えているのはおそらく英二だけなのだ。
不二は会社の同僚か、あるいは友人のような付き合いしかしない。
出迎えたところで新婚のようにキスをするわけでもハグをするわけでもない。
ふざけて以前してみたことがあったが、いい加減成人してるんだからそういうのやめよう、と本気で言われたことに英二はショックを受けたのである。
不二は英二のことをなんとも思っていないらしい。
ただの友人、ルームメートにすぎないのだ。
過去に英二は酒の力を借り、思わず口に出して不二に聞いてしまったことがある。
言ってからしまった、と後悔したくせに不二は冷静に友達だよ、と返したのだ。
まだせめて不二も酔った勢いで、たとえ本心でなくてもいいから好きと言ってくれれば期待できたものの、呂律も正確に回る状態ではっきりと答えたので一気に白けたのは言うまでもない。
そんな不二だからこそ英二は好きになったのだけれど。
日々段々と不二が自分から遠ざかっていくような気がしたのである。
こんなに近いのに手が届かないような存在。
英二は見えない不安に駆られた。





二人はビールをゴクリと飲み干し、枝豆を摘まんだ。
そう遠くない場所から花火の打ち上げる音が聞こえた。

「英二…今日ペース早くない?得意じゃないんだしカクテルとか弱いのにしたら?」
「いいよ…今日はビールの気分なの」
「そう?確かに素麺や枝豆にはビールが一番だもんね」
「不二、発言が親父くさい」

笑って喋っているつもりだったが、どうも上手く笑えていない自分がいる。
英二は二つ目の缶ビールを開けた。
苦い。
苦味を感じるのはホップのせいか。
否、それだけじゃない。
このまま不二に片思いしたままの自分に酷く嫌悪感があったのだ。
英二は西瓜を手にして尖った角をしゃくりと食べた。
甘いはずの西瓜はもはや味がしなくなっている。

「英二」
「…ん?」
「英二は…」

言いかけて不二は言葉を遮った。
続きが気になり英二が不二の方を見るとうつ伏せになっている。

「不二!?」

英二は慌てて不二を起こした。
しかし寝息があったのでどうやら眠っていただけのようだ。
不二をよく見ると少しやつれているように見える。
彼は疲労が相当溜まっていたようだった。
英二は布団を敷いて不二を休ませた。

そもそも二人が同棲することになったのは家賃を安く済ませるためだった。
もちろん英二はそれ以外にも理由があったのだが、不二の前では明らかにしなかった。
二人とも手持ちの金も稼ぎも少ないのでアパートも狭い場所だったが、逆に部屋を分けずに暮らせることが英二は何より嬉しかった。
だがこの感情も嫌われたくないが故にずっと隠し通していたのだ。

英二は少し酩酊しており視界に入る不二がゆらゆらしているのがわかった。
それと同時に英二は再び善からぬことを考えついた。
今の自分は酔っている。
ほんの少しハメを外しても言い訳ができる、と自分の都合の良いように考えた英二は寝ている不二にそっと近付いた。
あと少しで唇が触れる。
しかしその触れる寸前、不二はぱちりと目を開けた。
英二は驚き飛び退いて不二と視線を合わす。

「…英二」
「不二…あ…あ」

飛び退いたせいで言い訳すらしづらくなってしまった。
酔っていれば飛び退く必要だってなかった。
何事もなかったかのようにキスだけすれば良かったのに。
タイミングを完全に逃してしまい、英二もそして不二も互いを見合ったまま固まっていた。

「英二…何がしたいの」
「なんでもない!」
「嘘言わないでよ。今何かしようとしたじゃない。誤魔化さないで」
「ふ、不二が大丈夫かどうか確認したかっただけ!気にすんなよ」
「…君からは言い訳しか出てこないんだね」

わかった、と一言不二が言うと突然何をし出すかと思えばクローゼットから自分の服やら私物を纏め始めた。
英二はその行為が何を意味するのか理解するまで少し時間を要した。
不二はここを出ていくつもりなのだ。
わかっていながら英二は不二に慌てて尋ねた。

「ちょ…ちょっと待ってよ!何するつもりだよ?!」
「…出ていく」
「ねぇ!待ってよ、俺が悪かったから、もう変なことしないから…だから待っ…」

英二が不二を掴もうとした瞬間、その腕は逆に不二に捕らわれてそのまま床に倒れた。
英二を下にして不二がその上を覆い被さるような形になった。
すぐ目の前に不二がいることに戸惑いを隠せない英二は、口をぱくぱく開けることしかできなくなっていた。

「キミは何もわかっちゃいない…いつも自分の保身だけだ。僕がどう思っているのか本気で聞き出そうとしないじゃないか」
「それは…」
「違うと言うのかい?違わないよね、英二はいつも都合のいいように解釈する。僕の気持ちなんてどうでもいいんだ」
「そんなことない!」
「嘘。キミがいつ僕に思いを語らせてくれた?いつもいつも僕には何も言わせてくれやしない」

吊るしてあった風鈴がタイミング悪くちりんと鳴った。
どうせ鳴るなら西瓜を食べているときに鳴ってくれたら良かったのに。
捲し立てて話す不二の威圧感に負け、英二は何も語らなかった。
これ以上不二に嫌われるのは嫌だった。
英二が黙ったままでいると不二は溜め息をつき、英二から離れる。
せっかくのさらさらの髪をグシャグシャと不二は掻き乱していた。

「…一番ダメなのは僕じゃないか。どうしてキミは僕に言い返さないの」
「不二…?」
「勝手にキレられて英二は理不尽だと思わないのかい?悪いのは僕なんだ」

僕なんだ、ともう一度繰り返して不二は言った。

「僕はね、ただ弱くて臆病なんだ。今みたいに平気で人のせいにする。胸の内をずっと隠し通して…愚かだよ。英二、僕は君が好きだ。好きなくせに自分の気持ちに嘘をついてきた。こんな僕をどう思う?…なんて聞く資格もないか」
「不二!俺にだって言わせてよ…俺の方が悪いんだ。一番中途半端だった。俺はすぐ誤魔化すしちゃんと伝えなかった。不二が悪いんじゃない…俺も不二が好きだ」

ちりん、と綺麗な風鈴の音が再び鳴り響いた。
不二は少し涙を溜めて英二に微笑んだ。
不二もまた思いを上手く伝えられず辛かったのだ。
不二は英二の頬にそっと手を添える。
もちもちとした弾力のあるほっぺは仄かに熱を持っていた。
不二はそのまま自分の方へと引き寄せる。
英二も促されるように寄り添った。
唇を重ねた時、僅かに甘い味がした。
それは西瓜の味によく似ていた。