僕は内緒の企画を計画中である。
それはもちろん今週の金曜日にある大切な彼の誕生日だ。
平日の今日は当然のごとく学校がある。
まずは授業を終えて、そこから彼と一緒に自宅に招くのが第一のステップだ。
そしてその後僕が早朝準備しておいた冷蔵庫で冷やしてある誕生日ケーキを彼に振る舞う。
それが第二のステップ。
そして感想を言ってもらう。
これが第三のステップだ。
ここまでは順調にこなせそうな予感はしている。
いや、特に問題はないだろう。
ただ僕としてはこれで終わって欲しくないのが本音である。
僕と手塚は付き合ってから丸一年が経とうとしていた。
もちろんここまで言えばおおよその人は僕が何を言いたいのか理解してもらえるだろう。
しかし当の本人はここまで言っても僕が言おうとしていることを理解してくれない。
それどころか僕の説明は不十分すぎてわかりにくいと文句まで言う始末だ。
僕はこれまで口にせずとも付き合っているのだし、あらかた把握してくれていると信じていたのに全く会話が成り立っていなかったときは心底笑いたくなった。
意思の疎通など皆無に近かったのだ。
だからといって僕は諦めたわけではない。
来るべきときがきたら…そのチャンスは無駄にはしないし、手塚がどう言っても僕の信念を貫きたかった。
…なんて話をしてもまた首を傾げられてしまうのだろうけれど。
今度という今度はとぼけても許すつもりはない。
僕は野心に燃えていた。
その野心を燃やしすぎたのか、それは無関係か、ただ単に僕がミスをしたにすぎないかはさておき、せっかくの誕生日という大事な日に僕は遅刻をする羽目になった。
というのも本来ならばこの日は早起きをしてベースとなるケーキの土台を作っておこうと計画していたのだ。
にもかかわらず僕はいつもどおりに起床してしまったために見事遅刻をした。
そのまま学校に行けば間に合ったのだろうけれど、それでは今日の計画はおしまいになってしまう。
それは僕が許せなかった。
当然僕が遅刻をするなど信じられないと、同じクラスの英二にも言われたがそれは仕方のなかったことなんだと誤魔化した。
もちろん彼にはケーキを作っていて遅刻したなどと本当のことは言っていない。
これは僕だけの秘密だ。
ましてや手塚の耳にまで届いたらおそらく誕生日を祝うなんてどころじゃなくなってしまうのは百も承知だった。
英二には今までもたくさんの相談に乗ってもらっていたが、あれこれ逐一話すのはよろしくない。
特に部員の中でも英二は口が軽いのである。
わざとバラしているわけではない。
大概はうっかり口から出てしまって後から謝られることになるんだ。
これは今までも経験済みであったので間違いない。
つまり今回僕が遅刻したこともいずれは手塚の耳に入ってしまうのだろうけれど、理由さえ言わなければ問題はない。
しかし。
当然僕の遅刻のことを耳にした手塚からも理由を尋ねられたのは言うまでもない。
そして今は学校を終え、手塚と一緒に帰っている最中だ。
僕の計画による第一のステップである。
僕はここからまず手塚を自宅へと招かなくてはならない。
「お前という者が遅刻するなど珍しいな。体調でも悪かったのか?」
「僕を心配してくれてるんだね…手塚、優しいね。僕は至って元気だから心配ないよ」
「ならばどうしたんだ?不二、もし部活を引退してしまったからって生活態度が怠けてしまうのならそれは大きな問題だ」
「そうじゃないよ」
具合が悪かったと言ってしまうと今日は帰れという成り行きになるのは僕自身わかっていた。
だから別な方法で切り返さなくてはならない。
さてなんと言おうか。
「いろいろ理由はあるけど…まぁ気にしないでよ」
「そんなことを言われたらなおさら気になるだろう。俺には言えないようなことなのか?」
「まさか!」
こんなつもりではなかったのに!
気付けば手塚は寂しそうな表情を浮かべて僕をちらっと見た。
僕としたことが…手塚を不安にさせてどうする!
僕は慌てて弁解をした。
仕方ない…これは後で何か言われてしまうかもしれないが手塚に嘘をつくのも嫌だった僕は正直に話した。
といっても全てを話すつもりはないけれど。
「実は…ちょっとした準備に取り掛かっててね。時間が押しちゃったんだ。気にしなくても大丈夫。だからね──」
「また余計なことをしたんじゃないだろうな」
「余計なことってどんなことだよ、それにまたって何さ?僕はそんなこと過去にだってしたことないけど」
手塚の言い方に若干ムッとしたけれどここはぐっとこらえた。
こんなところで喧嘩などしている場合ではない。
それに手塚がこういう言い方しかできないのだって僕は知っている。
「それより、誕生日おめでとう」
「深夜にも聞いたぞ。朝にだって聞いた」
「何回聞いたって損するわけじゃないんだから別にいいでしょ?僕が言いたいから言ってるだけなのに」
「……」
「…それでね、今日僕の家に来れるんだよね?」
あらかじめこれは連絡をしておいた。
もちろん僕の家で何をするか具体的なことは告げていないけれど、肝心の日程を空けておいてもらわなくては意味がない。
そこで昨日…というより今日の深夜に電話で手塚に誕生日おめでとうコールをした際に聞いておいたのだ。
大丈夫だと手塚も言っていた。
しかし今の手塚は僕に呆れたような表情を見せながら軽く頷くだけだった。
僕の家に着くなり、部屋に案内して手塚にくつろいでもらっている間、僕は冷蔵庫に冷やしておいたケーキを取り出す。
いい具合にスポンジも膨らんでいる。
後は生クリームをデコレーションするだけだ。
しかしここまで完成するには一ヶ月という長い練習期間を経た上でできたものだ。
努力の賜物である。
初期の僕は調理方法すらわからず大失敗を繰り広げていて、姉さんにもやめておいた方がいいと言われる始末だった。
だが簡単に諦められるほど僕は弱気ではない。
人間不可能なことなどないと信じて練習した甲斐があった。
美味しそうなスポンジはこの後手塚の口へと運ばれるのだ。
僕は想像しただけでも涎が出そうになった。
もちろんケーキに対してではなく、手塚に対してだけど。
随分時間がかかったな、と手塚に言われたので早速披露することにした。
まだクリームでデコレーションはしていない。
これは手塚がどのくらい生クリームが食べられるかにもよると思い、あえて調整できるようにクリームはまだつけていなかったのだ。
僕はホイップした生クリームをデコレーションしようとスポンジに塗りつけようとした瞬間、何か嫌な音がした。
べちょりというあまり聞きたくない音である。
生クリームは上手く泡立たずにテーブルに落ちたのだった。
これでもめげずに再度塗りつけようとしたのだが何が悪いのか、全くツノの立たない生クリームでほぼ液状に近かった。
手塚は僕を見るなり小声で言った。
「…不二、スプーンで掬えばいいだろう」
「イヤだよ!!生クリームはスプーンで飲むものじゃないもん!」
「何を子供染みたこと言っているんだ。泡立たなくてもいいだろう。食べ物を粗末にする方がもっと悪い」
「だけど!!」
「…お前がせっかく作ってくれたんだ。俺はどんな形のクリームであろうと食べる」
聞いていただけただろうか。
手塚がなんとしても僕のクリームを食べてくれると言ってくれた…!!
この上ない幸福感に僕は背中から翼が生えたような気がした。
こんな大失敗で見た目も酷くなってしまったというのに…手塚はとても優しかった。
僕は手塚と付き合えて本当によかったと思った。
手塚が催促するので僕はもう一度キッチンに戻り、スプーンを持ってきた。
まさか生クリームをスプーンで飲む羽目になるとは思わなかったけれど手塚はとても上品にその生クリームを掬って食べていた。いや、飲んでいた。
「甘さも控えてあって俺にはちょうどいい。お前は…このために今日遅れたんだな」
「う…」
怒られるだろうか、いやもしかしたら部活を引退していてもやはり元部長なだけに明日グラウンド20周とか言われると思ったが実際はそんなことはなく、手塚は今までに見せたことのない笑顔でいた。
もちろんこの表情を見て笑っていると思う人はいない。
だけど僕はその僅かな表情の違いを見分けることができる。
本当に僅かだけどかなり違う。
手塚は微笑んでいる。
「だからまた何か余計なことをしてたんじゃないのか、と俺は聞いたんだ」
「…手塚には敵わないよ」
内心僕は嬉しかった。
僕のことを考えていてくれたことが、そして何をしていたのか大体予想がついていたということがこの上なく嬉しい。
「手塚…僕はね、手塚のためなら何でもしてやりたいと思うんだ。でも普段の生活を怠るような状態では君が呆れると思っていたし、本末転倒だってことはわかっているんだよ」
「俺はお前に無理してほしくないだけだ。そう思ってくれるのはありがたいが…俺は」
なんだ、なんだ?
なんとなくいつもと違う雰囲気に僕は飲まれそうになる。
言葉は説明できないようなこの空気に僕は心を躍動させていた。
「お前がいてくれるだけでいい」
カチッ
「…?なんだ、今の音は」
「…ボイスレコーダーだよ。僕は今日から今の手塚の言葉を毎晩寝る前と目覚ましボイスに入れて聞く。これは永久保存版だ」
こっそり忍ばせておいたレコーダーが役に立った。
手塚はそれを見るなりげんなりした表情で見つめている。
ときどきこのような行動に僕は出るので手塚はよく僕に対して頭がおかしいと率直に言う。
だがそんなことはおかまいなしだ。
決して僕は頭がおかしいとは思っていない。
「てーづか♪もう僕この先のことなんてどうでもよくなっちゃった!」
「この先とはどういう意味だ?不二、お前はいつも主語がないから何を言いたいのかわからない」
「いいんだよ、そんなこと!僕は手塚と一緒にいられて幸せ!さぁ、まだまだ僕のクリームはいっぱいあるからたくさん堪能してね!!」
液状である生クリームをスプーンで掬い、僕は手塚にあーんと口に運んであげた。
恥ずかしいからやめろと抵抗されたけれど、僕は幸せすぎて頭がくらくらしていた。
そのせいでクリームをボウルごとひっくり返してしまい掃除するのが酷く大変だった。
