この日の午後は桃城と一緒に昼食を食べた後、ストリートテニスコートで打ち合っていた。
炎天下というほどの暑さではなかったものの、まだ夏の気候は残っているように感じる。
越前は左手首に付けた水色のリストバンドで軽く汗を拭った。
「よっ!越前に桃城じゃねぇか」
軽快な挨拶で現れたのは不動峰中の神尾だった。
その後ろには橘の妹、杏も一緒であった。
道中で偶然遭遇したらしく、一緒にテニスをしようと誘ったのだと神尾は言った。
「越前くん、桃城くん、久しぶりね」
「橘の妹じゃねぇか!最近ご無沙汰だったな」
久々に会えたのが嬉しかったのか桃城は杏に声をかけた。
越前も軽く挨拶をした。
ここ最近は全国大会に向けて個人で特訓していたせいもあり、あまり不動峰達との交流も多くはなかった。
しかし大会が終わった今、次に向けるのは来年の大会に向けての基礎トレーニングである。
三年生のレギュラーが引退してしまった穴を埋めるべく、下級生らは必死に努力をしなくてはならなかった。
「お前ら青学も大変だろ、三年の先輩に頼ってばかりじゃいられないからな」
「確かに不動峰のところは二年生中心で固めてるもんな〜。だからってこっちも負けてねぇよ?」
「そういえば桃城は副部長になったんだってな」
会話をしていると杏も中に加わる。
おめでとうという言葉に桃城は本心から喜んでいたように思う。
越前はお馴染みのPontaを飲み、喉を潤した。
そこへ神尾が話しかけてきた。
「そういえば今日そっちの先輩方と会ったぜ。菊丸さんと不二さんがいた」
「あぁ、そうそう俺達も会った。なぁ越前?」
越前は頷いたがあまり気の乗らないような返事をした。
「相変わらずの態度だなーったく…桃城も大変だな」
「ほんっと!こいつには参るぜ。愛想って言葉を知らねぇんだよな」
越前は愛想が悪いわけではなかった。
彼らと話すことが嫌なわけではない。
話の内容が自分にとって聞くに堪えないことだったからだ。
今日桃城と一緒に昼食をファストフード店で食べたのはタイミングもよかったし、不二と遭遇できたのは運がよかった。
だが同時に二人の仲の良さを見せつけられたのもあって胸の内がモヤモヤしていたのだ。
こんなチャンスは逃すことはできない、と越前は一生懸命不二と話していた。
不二のことがそれほど大好きで堪らなかったのだ。
「(俺の方が絶対不二先輩と釣り合うのに…!)」
飲んでいたPontaの缶の飲み口部分を歯でがりがりと噛む。
中身は既に空になっている。
そこで杏が久々に桃城と打ちたいと言ったので二人が打ち合いをしている中、越前と神尾はベンチに座ってボールを目で追っていた。
「…越前は相変わらずだな」
「何が?」
「なんで不二さん達の話すると機嫌が悪くなるんだよ?」
「別に。アンタの気のせいじゃないの?」
明らかに不満そうな声で言っているので誤魔化し切れていなかった。
わかりやすい態度に神尾は続けて話す。
「俺が不二さんのこと話すとお前が機嫌悪くなるのは今に始まったことじゃないだろ」
「だから何の話?勝手に話進めないで欲しいんだけど」
「まぁ俺には関係ないことだし、どうでもいいけど」
「じゃあ最初から話しないで欲しいよね。こっちが聞いてるわけじゃないのに」
越前は空になった缶を捨てに立ち上がり、近くのくずかごに入れた。
神尾はどうやら二人が付き合っていることを知らないようだ。
ただ不二の話題になると越前が機嫌を悪くしている…としか捉えていないようだった。
それは大きな間違いである。
むしろ不二の話題は大歓迎である。
だが不二にまつわる話でもデート中の話などは聞きたくなかったのだ。
しかし神尾は越前の心情も知らずにCDショップにいた時の話と題してベラベラと話し続けていた。
「それでヘッドフォン付けてるのが不二さん達だってのがわかって──っておい、越前?」
桃城達が打ち合いを終えたらしいので越前は神尾の話を遮ってコートへ出た。
続けて桃城は越前と打ち合いすることになり、少しは休ませろと文句を言っていた。
完全に無視をされた神尾の側に打ち終えたばかりの杏がタオルで汗を拭きながら横に座った。
「神尾くんの出番はまだみたいね」
「杏ちゃん…」
「どうしたの?越前くんと喧嘩でもしたの?」
「いや…そうじゃないんだ」
これのどこが不機嫌じゃないと言えるのだろうか?
神尾は首を傾げながら桃城達の打ち合う姿を再び眺めていた。
数日後。
いつも通りに学校へ登校して教室に着いた。
隣の席では既に読書を始めている人物がこちらをちらっと見る。
その表情は何故か違和感があった。
笑顔でいようとするけれど上手く笑えていない…という表現が正しいのだろうか?
ぎこちない表情でおはようと言われ、とりあえず英二はおはようと鸚鵡返しをする。
「不二ってば部活がなくなっても朝早いのな」
「うん…まぁね」
「読書の秋ってやつ?」
「そうそう。今までならスポーツの秋ってテニスしてたけどね」
「別に完全に運動できなくなったわけじゃないだろ?体育もあるし」
と窓辺から外を見るがもう肌寒い。
外でランニングをするのもそろそろ厳しい季節になりつつある。
そんな今日も既に衣替えの時期に入り、教室は学ランのせいで半分が黒づくめになっている。
青学の女子の制服がセーラーであるおかげで、薄黄緑色が映えていくらかどんよりしたイメージは払拭されているらしい。
私学が羨ましいと誰だったかに言われたこともあったか。
「英二も本読みなよ。もし読むのがなかったら僕のでよければ貸すよ」
「うー…活字ニガテなんだよな〜」
「慣れれば楽しいのに」
「不二の難しい本なんて読めないよー。せめて日本語にしてくれないと」
今も不二が読んでいる本は洋書であり、ページを覗き込むとやはり英語で長々と綴られている。
とても英語の授業でもないかぎり読もうとは思えない本であった。
もちろん英語の授業であっても読みたくないのだが。
「じゃあ英二にも読みやすそうな本探してあげる。秋くらい本を読んだらいい。どうせ天気が悪くて外にもなかなか出られなくなる日も多くなるだろうから」
不二のお言葉に感謝しつつ、英二はやはり不二の様子がおかしいと感じていた。
聞きだしてもみたかったのだが、言いたいことがあれば不二の方から話してくれるはずだと信じている。
だからきっと今はそのときではないのだと英二は確信し、不二が話してくれるのを待つことにした。
付き合っているのだから隠し事などはしない。
きっと時間が解決するのだろうと軽く考えていた。
授業を終え、英二は用事があるからと途中で不二と別れた。
本当ならばもう少し長く一緒に歩いて話をしながら帰ることができたのだが。
別れ際、不二は何か言いたげな表情を浮かべていたが手を振り、そのまま帰ってしまった。
やはり今日の不二は変だった。
もしかしたら大事な話を帰り際の最後にでも話すつもりだったのかもしれない。
用事など投げ出しても話を聞くべきだったか。
しかし不二の方から特に何かを言いだすような様子もなかった。
無理矢理聞きだすことはできるだけ避けたかった。
「(いつか…話してくれるよね)」
淡い期待を寄せて英二は用事を済ませるために姉の勤務先まで走って行った。
「…待ってた」
「……」
「不二先輩なら来てくれるって思ったんだ」
「…越前」
「あの人帰ったんでしょ?…じゃあ気にしなくていいんじゃない」
「やっぱり…今朝のことはお互いに忘れよう」
「忘れる?俺は無理だよ…だってすごく気持ちよかったし。ね、不二先輩…」
もう一回しよ、と小さな少年は不二の側で囁いた。

