姉の勤務先に向かった英二は頼まれていた物を姉に渡した。
どうやら仕事で忘れ物をしたらしく自分で取りに行くよりも弟に頼んだ方が早いから、と言う。
弟の身としてはこき使われているだけだったので文句を言いたかった。

「もう忘れ物なんかするなよなー」
「あら、せっかくそのお礼に何かしてあげようと思ったけどやめようかなー」
「え!ウソウソ!何かくれるの?!」
「もう…ゲンキンよね」

姉はため息をついていたが英二は正直不二のことが気がかりだったのであまり気乗りしていなかったのは事実だ。
だが気にしても今はどうすることもできない。
英二は悩みを解消できぬまま、この間出かけた服屋へと向かった。
どうやら姉は予算内なら何かを買ってあげてもいいと言ってくれたので、英二はお目当ての服を買ってもらうことにしたのだ。
元々兄弟に頼って買ってもらおうと思っていたので機会としてはちょうどいい。
以前不二が選んでくれた服をもし買ってもらえるならば、次のデートの際に着ていこうと決めていたのだ。
しかし残念ながらあの服は売り切れてしまったのだと店員は言った。
考えてみればあれから何日も経っていたし、店員も一点物だと言っていたのを思い出した。
ここの店は若者の集まる店であったし、売り切れて当然だと思った。

「残念だったわね、まぁ機嫌直しなさいよ」

姉に励まされたが買ってもらうはずの服は駅前のパフェに化けてしまい、納得しようと思いつつも英二の気分は晴れなかった。

翌日。
男子トイレの鏡で英二は自分の顔を見比べていた。
頬をむにっと掴んだり離したりしてみる。
部活をしていた時と比べて肉づきがよくなったような気がしてつい気になってしまう。
やはり引退してしまうと体の調子もままならない。
海堂新部長や桃城新副部長は引退後も気前よく部活に遊びに来てくれと言ってくれていた。
たまには打ちにだって行きたい気持ちもある。
と考えていると不二がやってきた。
思わず身構えてしまうのは何故だろう。

「やぁ英二。どうしたの、頬引っ張ってみたりして」
「んー…最近丸くなった気がして」
「女子みたいなことを気にするんだね。英二は今のままでいいのに」
「不二がそう言ってくれるのは嬉しいんだけどさ。やっぱ運動不足って感じがするんだよね。だから俺、今日の放課後部活にでも顔出そうかなーなんて思ってるんだ」
「え…」

すると不二はやたら顔色が悪くなっていった。
何故かはわからなかったが明らかに英二の“部活”というキーワードに反応したことはわかった。

「不二?顔色悪いけど大丈夫なの?」
「え?…あ、あぁ、大丈夫…でも英二、僕達はもう引退してるし…この間も部活に顔出してたじゃない。あんまり僕達が押し掛けるのも──」
「どうして?だってまだ大会優勝して体動かしたくてたまらないのに。不二だってそうじゃないの?そりゃあ公園のコートとかでテニスやってもいいけどさ、あいつらにだって会いたいじゃん」
「僕は…会わなくていい」
「なんで…?」
「いや…英二が行くか行かないかは自分で決めればいいよ。僕は行かないから」

用も足さずに不二はトイレから出て行った。
不二が動揺しているのは明らかだ。
だが何故行かないと断言してしまうのか?
やはり昨日から不二の様子は変だ。
英二の野生の勘が働く。
何かあったんだ。
だけどしばらくしても不二から何か言いだすことはなかった。
英二はイライラし始め、次第に不二とも会話を自然と避けるようになってしまい、気付けば既に放課後になっていた。
不二はいつも一緒に帰るために声を掛けてくれていたのにもかかわらず、今日はさっさと帰ってしまったので英二は怒りが頂点に達した。

「なんだよ!不二のヤツ…!帰るときくらい声掛ければいいのに!俺のこと置いていくなんてもう知らない!!」
「今日は酷く荒れてるな、英二」

仕方なく一人で部活に顔を出しに行こうと思っていたその時、大石に声を掛けてもらった。
話をすると大石も元副部長としては気になるから、と一緒に部活を見に行くことになったのだ。
その間に不二との摩擦を話していると大石は静かに頷いて優しく聞いてくれていた。

「ごめんなー…結局俺っていつになっても大石にグチってばかりで進歩ないよね」
「何言ってるんだよ。そういうときのパートナーじゃないのか、俺達は。英二が悩んでるなら俺は望んで話を聞くよ」

温かく受け止めてくれる大石に英二は感謝をし、ふと気持ちが軽くなったような気がした。
やっぱり大石とは部活を引退した後でもずっと共にパートナーとして、親友として、仲間として、付き合いを続けていきたいと英二は思った。
話をしているうちに部室に着き、部屋を覗くと早速一年生達は準備をしていた。
その中に越前もいた。

「あれ、英二先輩。お久しぶりっス」
「おチビ…」

デート中に何回も不二とお喋りをしていて若干気に食わない面もあったので、英二は越前と顔を合わせるとなんとなく顔がこわばるのを自分でもわかっていた。
越前は何の気にも留めない様子で打ちますかとだけ聞いた。
着替えてから少しだけ、と言うと越前は準備があるからと一度部室から出て行った。

「英二、体操着になるのか?」
「うん。まさか学ランじゃ打てないし、ユニはもう家にしまってあるもん」

今日の授業に体育があったおかげもあり、着るものに対して問題はない。
大石も同じように着替えていく。
ふと汗のにおいがしたとき、今日の体育でのことを思い出した。
今日の体育はサッカーであり、不二と同じチームになったが全く会話をせずに終わったのでつまらなかった。
しかもパスでさえ回さない。
こっちが回そうとすると嫌そうな表情まで作っていたので英二はそれ以降不二にパスを回すことはしなかった。
全てにおいてイライラする。
不二が何を考えているのかわからない。
思わずロッカーの扉をバンと思い切り閉めてしまって大石を驚かせてしまった。

「英二…」
「ごめん…」
「不二はきっと訳を話してくれるよ。理由もなしに英二を邪険になんかしないさ」
「そう信じたいけどね」

体は鈍っておらず、俊敏な動きでボールを追いかけ英二は気持ちよくプレイできた。
久々に黄金ペアが揃ったのでダブルスを申し込む下級生達にも容赦なく攻め込み、同時に指導もしていった。
英二はこの手の説明は苦手だったので大石に頼りながらであったが有意義な放課後を迎えることができた。

「先輩達、また来て下さいよ。一番いいのは見せることですから」
「桃だっていいプレイしてるじゃないか、俺達ばかりに頼らずお前達だってやればできるんだから…四天宝寺と試合したときのこと、忘れてないよな?」
「もちろんっす!」

大石と桃城が話し込んでいる間、英二は着替えを済ませていた。
すると隣に何か含んだ笑いを浮かべたような越前がいた。
例のことがあってからあまり二人で話す気にもなれなかった。
以前は桃城も加えて三人で行動していた頃が懐かしく思える程だった。

「今日は不二先輩と一緒じゃないんだ」
「…不二は帰ったよ」
「ふーん、珍しいよね。いつも二人は一緒ってイメージだったのに」
「いつも一緒なわけないじゃん」
「へぇ…まぁそうだろうね。不二先輩も一人になりたいときなんていっぱいあるだろうし」
「それ…どういう意味だよ」

黙って見過ごすわけにいかなかった。
頭にきた英二は越前の胸倉を掴みロッカーに押し当てていたのだった。
慌てて桃城と大石が止めに入り、事なきを得たがピリピリしたムードは拭えず周囲はシンと静まり返っていた。
ここにいても息苦しいだけだと英二は荷物を掴むとさっさと部室を出て行った。
もうここへは二度と行くまい。

「英二!待てよ!英二っ!!」
「なんだよ…」

必死になって追いかけてきてくれた大石に冷たくする理由はなかったので、英二は足を止めて後ろを振り返った。
大石は心配そうに英二を見つめている。
英二の心情は落ち着けば解決するだろうと大石は思っていた。
しかし目下のところ英二の機嫌は直っていないところから見るに解決するには時間がかかりそうな予感がした。
結局大石はこの問題を解決できるのは不二しかいないのだと悟った。

「大石。今日のこと不二に言うなよ」
「…でもいずれは不二の耳に届くだろ」
「そーだけど!…これは俺達の問題だし」
「…そうだな」
「ごめん…大石が優しいのに俺…傲慢な言い方しかしてないね。おチビと喧嘩したときも止めに入ってくれたのに引っ掻いちゃったし」

猫みたいなもんだから慣れてるよ、と大石は言った。
大石の手の甲には英二の引っ掻き傷がある。
越前と揉み合いになったとき振り払った際に大石を傷つけてしまったのだ。
我ながらどうかしてると思った。
しかし英二は許せなかったのだ。
不二を擁護するようなあの言い方が癪に障った。
まるで自分が不二に迷惑を掛けているような。
そんなはずはないと信じながらも英二はどこかで納得してしまったのである。
もしかしたら本当はうんざりしているのかもしれない。
だから不二はあんな態度を取った?
考え込むと苦しくなって胸を締め付けられるようだった。
これ以上一人で悩みを抱えて時間を過ごすのは無理だ。

「大石。今日家帰っても一人だから俺…寂しいんだ。大石ん家に寄ってもいい?」