英二が自分のことに対して怒りを露わにしていたことを不二はわかっていた。
不二は自分で淹れたコーヒーを口にしながらため息をついた。
今日ほど苦しい一日はなかっただろう。
部活がなくなってもクラスで一緒、ましてや席まで隣同士では逃げ場もない。
いや、逃げる必要は本来ない。
だが不二はせめて今だけでも英二と離れていたかった。
側にいることで彼を傷付けることになるからだ。
だが状況も説明しない状態でこんな行動を取ってしまったが故に英二にかえって傷付ける思いをさせてしまっただろう。
それは今日一日を振り返ればわかることだった。
再び不二はため息をつく。
よく幸せが逃げるからため息はつくなと姉に言われたことがある。
しかし今回ばかりは辛抱できなかった。
英二に話さなくてはならないと思いつつ本人を前にすると口が動かなくなってしまう。
言いづらいのだ。

「(でもこのままじゃダメだ…)」

不二は両手で顔を覆い、ベッドに倒れ込むように寝た。
寝るつもりはなかったが意識は簡単に吹っ飛んでしまった。

しばらくして着信音で目が覚めた。
誰かからメールが来たようだ。
英二の着信音は他の人と区別できるように設定しているため、英二ではないことは確かだった。
ふと嫌な予感がしたがその予感は見事的中した。
越前が不二をテニスに誘うメールだった。
ちょうど今部活が終わったから少し先輩と打ちたい──
ラケットを持って俺の家に来ませんかと書かれたメールに不二は一言すぐ行くと返信した。




「随分早いっすね…あれ、ラケットは?」

越前は寺の空き地にあるコートで立ち尽くす。
不二は手ぶらで越前の家を訪れていた。

「ラケットなんて必要ないからね」
「まさか手で打ち返すとか言わないよね?」
「そういう面白くない冗談は聞きたくないよ」

不二は決心していたのだ。
この後輩とは仲間としての関係も切る覚悟で来ている。
不二は続けて話した。

「もう僕や英二に関わるのは金輪際やめて欲しいんだ」
「…でも不二先輩テニスをもっと教えてくれるって言いましたよね」
「僕じゃなくても桃や海堂っていう立派な先輩がいるんだ。テニスについては彼らを頼ればいい」
「そんな…!約束したじゃないっすか!俺、不二先輩と決着だってつけてないし・・・!」

越前は思っていた展開にならないことに焦りを感じ、慌てて不二を引き留めようとした。
彼にしては珍しい行動でもあった。
だが不二は負けじと意思を貫き通す。

「そういうことだから…もうこうして呼びつけたりしないでくれ」
「うそつき…」
「嘘をついた覚えはないよ。そもそも僕は越前と約束だってしていない」
「キスしたくせに」
「…あれは事故みたいなものじゃないか。しかも君の一方的な」

不二はそれ以上語らなかった。
越前も黙り下を俯いたまま顔を上げずにいる。
どんな表情をしているのかはわからなかった。
もう話すこともないので不二は立ち去ることにした。
これであとは英二と仲直りできれば…
不二はまだ不安があったがその足で英二の家の方角に向かうことにした。
越前はポツリと独り言を言った。

「…まだ終わらせる気ないよ…俺」





一方その頃英二は大石宅にお邪魔していた。
しかし時間帯も遅く大石の家族が帰宅し始めていた。
いくら自分が辛いからといえど大石に迷惑をかけているのは自分でもわかっていた。

「ごめん…大石」
「俺の家は大丈夫だから気が済むまで…もしだったら泊まってもいいんだぞ?」

大石はどうして英二にここまで優しく接してくれるのか。
英二は泣きたくなった。
それと同時に抱き締めたくなった。
いつもの癖で抱き付くのは日常茶飯事であったが、不二と付き合うようになってからは抱き付くのはできるだけ控えていた。
というより不二があまりいい顔をしないからだ。
もちろん自分が逆の立場で、不二が手塚や越前に抱き付いたりしていたら英二も耐えられない。
気持ちはわかるけれど、この癖を直すのにはかなり時間がかかった。
そして今、この癖を最大限に復活させたい気分だった。
いけないと思いつつ気持ちに負けた英二は大石に抱き付いてしまった。

「英二…」
「ごめん」
「ダメだって…英二」

大石は少し冷たく突き放した。
英二は意外な大石の行動に驚きを隠せなかった。
いつもどおりに受け止めてもらえると思っていたからだ。

「おおいし…」
「英二、お前のことが嫌なわけじゃないんだ…だけど…俺の気持ちも少しは考えてくれないか」
「そうだよね…ごめん」

大石は一度英二に告白をしている。
それは不二と付き合い始めて数日しか経っていない頃のことだった。
大石は二人が付き合っていることをその時点で初めて知ったのだった。
英二がその告白に断ってからも同じ仲間として付き合っていたので、つい英二は大石に甘えてしまう癖は抜け切れていなかった。

「ごめんな…俺やっぱ帰るよ」
「英二…」
「俺っていつも自分のことばっかで人のこと全く考えてないのな」
「そこまで思いつめなくていいんだ、英二。俺は…前みたいに接してくれればそれでいい。いや…俺が言いすぎただけなんだ、気にしないでくれ」

大石が慌てて取り繕うとしたが英二は顔を見ることもなく大石宅を後にした。
もちろんご家族が帰宅していたのでお邪魔しました、と型通りの礼儀だけはわきまえて。
大石は送っていくと言ったが英二は首を振って断った。
抱き締めたときの反応に英二は傷付いたのは事実だ。
だが何より中途半端な行為をしている自分が許せなくて英二は自分に腹を立てていたのだった。





英二宅を訪ねていた不二は家に誰の気配もないことに不信感があった。
既に部活も終わっている時間帯なのにまだ学校にいるとは思えない。
どこに行ったのだろう。
携帯で確認してみてもよかったが、いざ英二の居場所を知るとなるとなんだか不安になってしまう。
英二は一人で悩み事を抱えられない性格だということは不二も熟知している。
誰かに相談にでも乗ってもらっているのかもしれない。
それならば自分が今出向くのはタイミングが悪いかもしれない。
どうしようか立ち往生していると奥のほうから人の歩いてくる音がした。
歩くリズムで誰だかすぐにわかった。
間違いなく英二だ。

「英二…」
「不二?!なんでここに…」
「君に話があって」
「そ…そっか…。とりあえずあがって」

お邪魔しますと不二が英二宅にあがる。
英二は家に今日は誰も帰って来ないんだという旨を不二に伝えるとそう、とだけ呟く不二の声が静かな家に響いた。
時間も遅いせいかやけに静まっているように思う。
テレビでも付ければ賑やかになりそうだが、二人の様子からしてテレビを付けるような行動は取らない。
不二はソファに腰を下ろし、英二はコップに水を汲んでテーブルに置いた。
空気は今までに感じたことがない程に重苦しかった。
お互い何から話せばいいのかわからずにいた。
この静けさを一番に破ったのは英二だった。

「どうして俺の家の前にいたの?」
「英二に…伝えなきゃならないことがあるからだ」

不二は座り直して英二をじっと真剣な眼差しで見つめ、話を始めた。